1582年(天正10)
本能寺の変
ほんのうじのへん
1582
十五夜に信長襲う本能寺
京都の本能寺に宿泊していた織田信長を、家臣の明智光秀(あけちみつひで)が襲撃した。
天下統一を狙う織田信長は、豊臣秀吉に命じて西国最大の大名である毛利氏を討つ戦をしていた(中国攻め)。
いよいよ信長が現地入りすることになり、明智光秀に中国攻めの援軍を出すように命令。信長も滋賀県の安土城(あづちじょう)を出発し、道中、京の本能寺に宿泊した。
1万3,000の兵を率いた光秀は、自身の兵を信長に謁見させるという名目で京へ向かう。しかしその目的は謁見ではなく、信長を襲うことだった。
光秀の軍勢は夜も明けきらぬ早朝に本能寺を完全に包囲。来襲に気付いた信長は応戦するも、勝ち目はないと判断。建物に火を放って自刃した。
ちなみに光秀が謀反を起こした理由については恨みなど諸説あり、定まっていない。
本能寺の変により光秀の天下が来るかと思われたが、わずか11日後、光秀は命を落とした(山崎の戦い)。
▲本能寺跡(京都市中京区)