1782年(天明2)
天明の大飢饉
てんめいのだいききん
1782
非難はつづく天明の大飢饉
天候不順や浅間山(あさまやま)噴火が原因で、5年以上にわたって大飢饉が続いた。
1782年(天明2年)の天候不順によって、米が凶作となった。翌年には浅間山の噴火で火山灰が降り注ぎ、農作物に大被害を出した。さらに洪水や冷害も加わり、東北地方を中心に食糧不足に陥った。
東北地方の飢饉はひどく、飢餓と疫病で100万人近い死者を出す惨事となった。
農村部から逃げ出した農民が江戸や大坂に入り、米屋の打ちこわしを行い、治安が悪化。
老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)に非難が集まった。
▲天明の大飢饉